写真の個性とは何か。コハラタケル氏のnoteを読んで考えたこと
昨日紹介したコハラタケルさんのNoteを見て刺さったことがあります。
先日、彼の書かれたNoteの記事を拝見し、写真における「個性」について深く考えさせられる機会がありました。記事の中で、コハラさんは「個性」を意識しすぎることの危うさについて書いています。
自分で「これが自分の個性だ」と意識してしまった時点で、それは個性ではなく、意図的に作り出されたものになってしまうのではないか。むしろ、自分では個性的だと思っている部分を削ぎ落としていっても、なお周りの人から「あなたらしい」と言われる部分こそが、本当の意味での個性なのではないか、という考察にはっとさせられました。
たとえば写真の色味について。現像するときに写真の色味に悩む人は結構いると思います。自分らしさを演出しようとしてユニークな色付けをしてしまう。でもそんなことをしなくても、その人が本当にいいと思う色を選び続ければ十分個性が出ますよってことです。
これまで私は、自分の写真に「個性がない」と悩むことが多々ありました。いつも似たような構図の写真ばかりで、面白みに欠けるのではないか。綺麗には撮れているけれど、人の心を動かすような力がないのではないか。そんな風に感じていたのです。しかし、コハラさんのNoteを読んで、少しだけ心が軽くなった気がします。
自分らしさは自分でわからなくてもいい。
個性を無理に作り出そうとするのではなく、自分の「好き」を追求していった先に、自然と個性は生まれるのかもしれない。個性とは、自分自身で作るものではなく、周りの人が定めるもの。※ただし、SNSで受けやすい写真にするには演出することが必要
この考え方を胸に、これからも写真を撮り続けていこうと思います。
本日のご帰宅
本当におめでとう!
サイズ的にもチェキ2枚分なんよね
若い世代は暴風の中踊る西川貴教がわかるのだろうか…w
ほなまた!