言語化とは経験の知見化のこと
FF14のレイドを攻略するうえで今回考えることがありまして、その話をします。それは言語化という言葉の使い方ですね。
2層雑魚フェーズの攻略中、とあるメンバーが近接の敵を倒す優先度やポイントをメモしていました。その上で「遠隔担当の敵の倒し方を言語化してください」的なことをお願いされたんですよね。それは言語化と言えるのか、という哲学的な問いを自分にしていました。
言語化の目的は
①経験の再現性を高めること
②それを他人に伝わるようにすること
だと思っています。
一方で、他人のやっていることをテキストにまとめることは言語化といえるのか。それって分析・研究・仮説と何が違うの?と引っかかりまくりでした。
人は物事を整理するときに文字に落とし込みます。たまに頭の中で完結できる人もいますが、複雑な処理を扱う場合は何かに記録しないと整理できません。ただ、その整理を言語化と呼ぶのだろうか。言語化は単にテキストに起こすことではありません。自分の経験や感性を言語に落とし込む中で余分を削ぎ落とし、本質を明らかにする行為と捉えています。
あくまでも自分の経験を言葉にすること。だから先に書いた「敵の倒し方を言語化してください」には、「様々な動画を見て敵の倒し方を分析してください」もしくは「自分の動きとの違いを見て、原因を言語化してください」がしっくりする書き方なんです。原因を自分の経験から確信に変えること。倒し方の言語化は飛躍がある。言語化には失敗と成功の経験が前提なんです。
言語化は自分の考えを深めてくれるのでブログって最高だよね、という話でした。
ほなまた!