おはようございます。新しい一週間が始まりましたね。7月後半の夏らしい強い日差しに加え、午後3時や4時頃に地面から立ち上る熱気には、少し骨が折れる思いがします。
昨日は、長年親しくしていたほしなさんの卒業イベントがありました。
ずっとお世話になっていた方なのですが、その場ではどうにも実感が湧かず、フワフワとした不思議な感覚のまま時間を過ごしました。
これまでも大切な方の卒業を何度か見送ってきましたが、いつもその場ではなく、日常の会話や何気ない記録を振り返る中で、少しずつ「もういないのだな」と実感していく気がします。
思い出の引き出しがあまりに多くて整理には時間がかかりそうですが、近いうちに手紙を読み返しながら、自分の中でゆっくりと気持ちを切り替えていこうと思っています。
📱 指先と言葉のあいだにある「ズレ」
昨日、久しぶりに音声入力ではなく、スマホのフリック入力で長文の文章を書きました。
そこで改めて感じたのは、指先の動きと思考のスピードが噛み合わないもどかしさです。
紙にペンで文字を書くときは、打ちたい文字と手の動きが心地よく一致します。書くという行為と内容を考える行為が融合するので考えながら書くことができます。キーボードも左手のAIUEOは同じ動きをしますが、ブラインドタッチで直接キーを見なくても打てるため、右手と左手の指のリズムで文字とリンクしている気がします。ギターで例えると弦を鳴らす右手とコードを押さえる左手のイメージです。ただし、こちらは早すぎて思考が追いつかないことが多い。
しかし、スマホのフリック入力は「あ」と打つために左に親指を滑らせるというステップが挟まるため、どうしても自分の思考と身体性にズレが生じてしまうようです。「た」も「な」も同じ指の動きなので頭の中の文字とリンクしない、なにか切り離された作業に思える。連続して長く入力する際には苦痛さも感じます。
日頃当たり前に使っているツールですが、自分の手と脳の連動について少し考えさせられる機会となりました。
また、書く作業を省略化し、自分の思考を出すことだけに集中できる音声入力とは素晴らしい入力方法だなと思いました。
このキーボードの入力が先で思考が追いつく感じ、卒業イベントでの実感と同じだなと書いていておもった。
🤝 言葉をかける判断の難しさ
一つ心に残っている出来事があります。
イベント本番直前に声を枯らし、悔しさからか涙を流しているメイドが目の前にいたのです。
声をかけて鼓舞すべきか、あるいは状況を静かに見守るべきか。
「まずは本番に集中しよう」と背中を押すこともできたかもしれませんし、感情を一度吐き出させる間を与えるのが正解だったのか。私自身、その時の最善が分からず、ただ黙って見守ることしかできませんでした。
最終的にその人は自力で立ち直り、最後までやり遂げてくれました。結果としては良かったのかもしれません。
ですが、「自分に何か別の応援ができたのではないか」という問いは、今も静かに心の中に残っています。人の気持ちに寄り添う判断というのは、いつになっても難しいものですね。
今日は緊急の案件対応や一週間の計画立てなど、今週もやるべきことがたくさん待っています。
ほしなもんへの手紙も、時間をみつけて書いていきたいところです。
暑い日が続きますが、みなさんも体調管理には気を付けて、良い一週間をお過ごしください。
ほなまた!